もう一つの世界は、必要!

電通労組  日野  正美

<急転直下のムンバイ行きとナリタ>

 

ムンバイ行きには、実はちょっとした事情があった。当初予定していた仲間が体調を壊したため、年末段階ではインド派遣は断念せざるをえない雲行きだった。困ったな、残念だなと思っていたところに、ATTACのメンバーから私に打診が来た。ATTACのセミナーは各国から出席するので電通労組も参加してほしいとのことだった。何気なく「パスポートが何とかなればねー」と安易に言ってしまった。その一言が、私をムンバイに運んでしまったのである。

 パスポート申請が1月5日、受領は13日。14日にインド大使館へヴィザ申請。16日に受領。そして17日に出発。駆け込みセーフであった。

  その間、現地の「セミナー」で発表するレポート作り。NTT民営化以降の合理化と労働問題に絞り込んだ「報告書」を作成した。NTT11万人合理化と対決する裁判闘争の位置付けについても盛り込んだ。大阪の喜多幡さんに英訳していただき、出発前日、組合員の協力で購入したばかりの電通労組首都圏支部のプリンターで印刷した。

 出発前日まで文字通りドタバタで、WSFの認識も浅く、準備も不十分な中での初の「海外旅行」となった。成田での搭乗手続き、出国手続き、全て一人で初めての体験。事前「学習」をまったくしていなので戸惑いの連続だった。私はヴィザの関係でATTACの仲間たちの搭乗便から遅れ、17日12時の便で出発した。しかも、デリー空港の霧のため2時間半遅れ。結局、成田を出たのは15時になった。

成田第2ターミナルビルから搭乗。ビルからは「横堀団結小屋と鉄塔」が見える。複雑な思いだ。飛行機が滑走路を滑り出すと今度は窓から「木の根ペンション」が・・。

 

<15時間の飛行とカレー攻め>

 

 成田からバンコクまで7時間、(整備・機内点検で1時間、バンコク空港)。

 バンコクからデリー4時間、 (整備・機内点検で1時間、デリー空港)。

デリーからムンバイ2時間。

 機内食は、各ルートごとに3回カレーのオンパレード。さすがにデリーを出てからの食事はノー・サンキュウだった。機内で出国手続の用紙は貰うものの全て英語。わかるところだけ書き、あとは客室乗務員に書いてもらった(なんとかなるものです)。

 

  成田を15時に出て、ムンバイに翌朝・日本時間6時30分着(現地時間3時)。入国手続きで1時間半くらいかかる。成田で替えた「USドル」(1万円を約91ドル)を、今度は「ルピー」に交換。1ルピーは約2.6円(領収書も出さない交換所なので3900ルピーくらいかな?)。 

 空港に出ると、「物乞い」の裸足の子ども二人が寄ってきた。タクシーチケット(150ルピー)を購入し、タクシーナンバーを探し運転手にホテルを示して乗り込むも、運転手は、他の運転手と話し込んでいてなかなか出発しない。走り出すと怖いくらいのスピードでガンガン行く。信号はほとんどない。ライトは点けず、朝霧で濡れたフトントガラスも拭くわけでもなく突進する。薄暗くまだ開かない露店の立ち並ぶ通りを20分くらいでホテルに着く。(5時過ぎくらいか)

 

<第4回世界社会フォーラム 10万人、2500団体の参加>   

 

不眠のムンバイ第一日目(1月18日:フォーラムは3日目)は、埃と喧騒、人、人の中でのWSF参加。

ホテルから、20人乗りのバスに30人を乗せ20分くらいで、WSF会場へ。「リキシャ」がガンガンとばして走っていく。交差点には、信号無し。3車線くらいの道路?を車が警告音を鳴らしながら走り抜ける。右追い越し、左追い越し有り。1〜2cmの間隔ですれ違う。その間(道幅10mほど)を、人間が横断する。無政府的な交通ルール無しの世界。ただ、人と相手車両には「ブツケナイ」という基本ルールは成立しているようである。

会場は、廃墟の工場跡地。立て看板、アドバルーン、横断幕、壁画(落書き)で埋め尽くされている。人、人、人。会場の大通りは、各国のデモ、パフォーマンス、踊り、コール、音楽、チラシ撒きで騒然としていた。登録団体は、2500団体、75000人だそうだが、10万人、いや12万人参加の報道もされていた。やはりアジアの参加者が多く感じた。特に、参加者の半分以上が地元インドの参加者のようだ。ダリットの参加も多くいた。

ダリットとは、身分制度(カースト制度)が残るインドで、バラモン(司祭者:特権階級)、クシャトリア(王侯、武士階級)、バイシャ(農業、牧畜、商業者)、シュードラ(隷属民:最下層)の4階層のその下に階層化された「不可触民」といわれる人々で、スラムに住み、低賃金、未教育の環境におかれている。さらに、ダリットの女性たちは、低賃金、未教育のほかに、夫の暴力とアルコール依存(仕事場での差別によるストレスが妻に向かう)、またグローバル化のなかで農業が破壊され性産業に入っていくという状態におかれているとのことである。「セックスワーカー」のデモを会場で見たが、身分制度が故に彼女らの人権が奪われ、差別と搾取のもとにおかれていることからの撤廃を訴えていたものだったと改めて思う。裸足、スリッパ履きのインドの人々の熱気とそのエネルギーには圧倒された。

 日本からの参加者は、350人くらいで、ATTACjapan、ピースボード、原水協、連合、NGO等が参加したようである。アジア初の世界社会フォーラムは、昨年までのポルトアレグレとはかなり異なり、ムンバイのある州政府は、排外主義右翼の「シプセナ党」支配地で、ムンバイ市や州政府の協力は一切なし。また、「世界社会フォーラムは、企業財団から基金をもらっているNGO等が参加しており、本当のフォーラムではない」とする「対抗フォーラム:ムンバイ・レジタンス2004」も近くで開催されていた。事実、昨年までのポルトアレグレでのWSFは、フォード財団から約50万ドルに上る財政的支援を受けてきた。インドのWSF組織委員会は、大きな財団から基金をもらわないことを決めて開催を準備してきた。

 

<反民営化セミナーで11万人リストラ反対と民営化に抗する闘いを報告>

 

 参加初日のわたしの仕事は、ATTAC−japan主催の「公共部門の反民営化セミナー」での闘いの報告。(別紙報告書参照)

 @「国民の財産」を私物化し企業利益の最大化を狙う電気通信の民営化は、儲からない公共サービスを切り捨て、そこに働く労働者と地域生活を破壊すること。

A民営化はコスト削減のもと一貫して労働者の削減合理化として徹底された歴史であったこと。

B「公共サービス」には、競争はいらない。「再国有化」を含めた闘いを展開すべきであること。

を報告、提起し、最後に「11万人リストラ合理化」で強制配転撤回の裁判闘争を紹介した。

私の他に日本からは、国鉄民営化に反対し1047名の解雇撤回を闘う「国労闘う闘争団」の佐久間さん、郵政民営化攻撃のなかで「トヨタ方式導入」と闘う郵政全労協の山口さんから闘いの報告があった。

 

日本以外からのゲスト「福祉国家を目指すキャンペーン/ノルウェー」のアスピョルン・ワヒルさんは、「社会福祉(公共サービス)は、労働運動の発展の成果としてあった。しかし、80年代から労働運動との力関係の変化(弱体化)が、規制緩和、民営化攻撃を許してしまっている。」とし、「社会的合意から社会的対立の時代に入っている。権力の問題、階級の力関係、市場と市民の力関係に挑戦していく必要がある。広範な諸勢力を結集させる社会の下から運動の構築を」と基調報告。

パク・ハスンさん(KoPA:自由貿易協定・WTO反対韓国国民行動)は、電力の民営化問題のなかで、電力産業の労働組合を韓国民主労総など様々な社会運動団体が支えてきた韓国の社会運動の現実を紹介。

SUD−PTTフランステレコムのアラン・バロンさんは、@フランス電電公社の規制緩和、Aテレコスの企業支配、B多国籍企業にどう対決するかという3点にわたって報告。
フランス電電公社の規制緩和-民営化は、1990年、1996年、2003年の3段階を経て実施され、この過程で労働者の雇用は、毎年1000人のペースで減少し続け、国際競争の名のもとさらなる労働条件の切り下げが行われていること。
 こうしたなかSUD−PTTは、ドイツやセネガル労働者へのリストラ攻撃に反対し、連帯行動をとることで、リストラ案を撤回させるという勝利を獲得したこと。SUD−PTTは、多国籍企業のグローバル戦略に対して、労働組合運動だけでなく全体の社会運動でもグローバルネットワーク構築の重要性を強調していることが報告された。(全文を別掲)

南アフリカ共和国の「反民営化フォーラム:APF」トレバー・ヌグウエンさんは、水道、電気の公社民営化反対の闘いを通して国営に戻させたことが報告され、イギリステレコム労組のジェーン・ロフタスさんは、イラク反戦の闘いを通し、ブレア政権の民営化攻撃と闘う陣形をつくり出す方向性を報告。

各国からの報告でセミナーは終了し討論する時間がなく残念であったが、公共サービスや社会福祉が、階級間の力関係に規定されていること、広範な闘いを再構築することで民営化攻撃を止めることが出来ること、それが可能であることが確認されたと思う。世界各地の闘いに学びながら、特に今回は韓国と日本のみの参加だったが、東アジア規模での闘いとネットワークづくりが求められているだろう。フィリピン電通労組(MKP)の所属するフィリピン・ナショナルセンター(マカバヤン)のプリモ・アンパーロ副議長もセミナーに参加していただき、交流もできた。フィリピン電通労組は、解雇1周年を迎えスト権投票にはいるかもしれないので委員長は参加できなかったそうである。

また帰国後すぐ、SUD−PTT/フランステレコム労組のアラン・バロンさんからは、早速メールが届いており、電通労組の詳しい状況を報せてほしいと要望がきている。

 

<韓国と日本のイラク反戦ジョイントデモと集会が実現!>

 

今回のWSFは、イラクの侵略と占領に反対する声であふれていた。各国のデモは、「イラクに平和を」「テロリスト・ブッシュは、イラクから出て行け」のコールであった。WSFでの各決議は、アメリカの単独行動主義と戦争政策が経済のグローバル化と一体の関係であり、新自由主義的グローバリゼーションに反対し、イラク反戦に取り組むと宣言している。会場の展示物も「STOP USA」と「帝国」アメリカのイラク戦争犯罪を告発したものが目立った。

そのようななかで18日の夕方、韓国と日本の民衆による「イラク反戦集会とデモ」がWSF会場で実現。50数名の参加ではあったが、「韓国、日本のイラク占領加担の中止」「自衛隊のイラク派兵を止めよう」と訴え、「日韓FTA反対!」「NO,NO,WTO」「NO,NO,FTA」「PEACE FOR IRAKU」と韓国語、日本語、英語でコールしながら、プラカード、横断幕を掲げ、デモストレーションを貫徹し、参加者から注目をあびた。

 

<「グローバリゼーションとそのオルタナティブ」に参加して>

 

語学力が全くないので、スピーカーやパネラーの発言が半分以下しか理解できないことは、非常に残念である。2日目(19日)「グローバリゼーションとそのオルタナティブ」(論争・パネルデスカッション)に参加。日本訳があるというので行ってみた。

帝国主義的グローバリゼーションに対し社会主義が唯一の道とするインド共産党メンバー。20%の人が80%の資源を使用する世界から天然資源を平等に使える世界へ、貿易より環境を優先する持続可能な世界の提案をするドイツ環境NGO。外国籍企業の独占を市民がコントロールするため既存の仕組みを壊すこと。一つのものを世界に押し付けるのではなく、他のものに合わせていくことがグローバル化に対抗する手段とウオルデン・ベロー氏。一部を利するIMF、WTOを止めさせ、労働者の権利、途上国の権利を守り、多様化を重んずる経済を獲得するための行動。等々パネラーから発言があり、会場からも活発な意見が出された。

日本人通訳を介したり、通訳レシーバーで聞いたりで充分に受け止めることが出来なかったが、それぞれの方針(対案)を出し合い、行動を起こし調整を通してもう一つの世界をつくっていこうとするコーディネータの整理だった。

「もう一つの世界は約束ではなく、築くもの。」「貧困に対して希望を与えるオルタナティブを」「もう一つの世界は、必要だ」という発言が、印象に残った。

 

<ビールと食事とその他>

 

日韓ジョイントデモ終了後、会場近くのゴレガオン駅まで2階建てバスに乗り(運賃3ルピー)駅前のカファーバーで反省会。ビールで乾杯!インドでは『酒文化』は大衆的ではないようだ。沢山の食べ物を注文し(腹が減っていたため)、騒ぎながら飲み、食べる日本人をやってしまった。アジアの東の端からきた東洋人を見る現地の人の目は厳しく受け止めた。

ビールは、ボーイが必ず注いでくれる。植民地の時代の名残りなのか、お客様に対する応対教育が行き届いているのか、文化の違いを感じた。(ホテルでも、バーでもおなじである。)ビールは、果実酒に炭酸を加えたようなわたしの口には馴染まないが、最後の日まで飲み続けた。ウイスキーも甘ったるい。食事は、やはりカレーがベース。ホテルの朝食はパン、ナン、粉アゲパンのようなものが主食で、カレー味のスープ、卵焼きもあった。水、生野菜、果物は一切口にしないことにした。バナナは皮がついているから安心と勝手に判断し口にした。昼食は、WSF会場で20ルピーから30ルピーでカレー、チャイニーズライス、スパゲティなどを食べた。水は、全てペットボトルを買い飲んだ。

コーヒーを注文すると必ずミルクが入ってくる。(紅茶も同じ)これには、閉口した。ホテルの部屋には、袋入りの「ネスカフェ」が置いてあった。これが一番口にあった現地での飲み物だった。夕食は何を食べたか覚えていない。殆ど毎日、ホテル近くのカフェバーにいたような気がする。

食事と並列して、トイレの話しはないが、ホテルのトイレには“気持ち”だけの「ティッシュペーパー」が置いてあった。便器のそばに水を汲む「桶」がありインドの人は、それでお尻を丁寧に洗い流すようである。考えようだが、文字通りの「ウオシュレット」でありインド文化の方が進んでいる様な気もした。ちなみに、ゴレガオン駅の女性用トイレは有料(2ルピー)だったようだ。WSF会場のトイレは聞くところによると最悪だったようだ。(幸いにも会場でわたしは使用しなかった。)

ホテルの部屋は、ダブルベットで日韓ネットの渡辺さんと一緒。体が触れないようになるべくベットの端の方に寝るように心がけた。ストレスにはならなかったが、良いものではない。一泊1500ルピーでは、贅沢はいえない。

 

<殺人的列車に揺られてムンバイ市街地へ。逞しく生きるインドの人々>

 

2日目の午後からムンバイ観光を計画。有志を募りゴレガオン駅から「インド門」があるチャージゲート駅まで鉄道で行くことになった。ゴルガオン駅前にはCPI(インド共産党)の「鎚鎌」の旗が翻り、WSF歓迎の看板が掲げられていた。9ルピーで切符を買い列車に乗り込む。20秒程度しか列車は駅に止まっていない。扉なし。日本の戦後の買出し列車の状態が思い浮かんだ。車内放送無し、駅側の案内放送もなし。動いている間に降り、間髪いれずに乗り込まないと置いていかれる。全く管理されていないところが良い。自己責任で勝手に乗れと言う感じである。駅に「改札」がない。無賃乗車をする気であれば簡単に出来る。40分くらいでチャージゲート駅に着く。郵便局を探し、はがきを出し、[GATE WAY OF INDIA:インド門]へ向かう。不勉強でこの門がなにを意味しているのか分からなかったが、大英帝国の植民地侵略の象徴として建てられたものだということを現地について知った。ムンバイの街並は、大英帝国の植民地時代の建物が多く残っている。駅近くのバーで片言の英語で「サラダ」と「ポークソティ」を何とか注文し、ビールで一服する。

帰りの列車がまたまた大変。殺人列車という物がどんなものかを体験した。乗る客が降りる客より先に突進して乗り込んでくる。車内で降りられなかった客との間で罵倒した声が飛び交う。乗る側も、降りる側も必死なのである。10億人のなかで生きぬく逞しさを感じた。東京のラッシュなんてたいしたことはない。

ホテルに最も近いアンディヒリ駅(最終駅だったからよかった)で降り、「リキシャ」でホテルへ。乗る前に三人で50ルピーで行くように交渉し乗り込む。ホテルについたらメーターは22ルピー。文句を言ったが50ルピー取られた。翌日は、100ルピーを要求されるも60ルピーを支払い、納得させた。“ボッタクル”「リキシャ」の運転手との駆け引きも一つの楽しみでもあった。

 

<フォーラム会場最終日「1047名の解雇撤回」要請ハガキ署名とATTAC総会等々>

 

最終日、フィリピン・ナショナルセンターのプリモ アンパーロ副議長のセミナーに参加予定だったが、会場を探しきれず参加できなかった。ストールを見てまわり、午後からは、ATTACの5〜6人で「1047名の解雇撤回」を小泉首相に要請するハガキ署名を会場の大通りで実施。片言の英語で呼びかけ、1時間くらいで200名くらい集めた。

署名集め後、「女性・子どもの搾取的移動、特に人身売買を通しての移動との闘い」の論争・パネルに参加するも日本語通訳はなく、連日の行動の疲れが重なって眠ってしまった。

今回のWSFは、社会の差別問題を取り上げた論議が多くあったように思える。インド開催がそれを引き出したともいえる。話せないのは仕方がないが、聞けるぐらいの語学力が本当に必要に思った。

夕方17:00からはATTACインターナショナル総会の情報交換会に参加。各国ATTACの取り組みについて報告があり、トービン税、水、医療、教育の民営化問題、反戦運動が紹介された。

まとめとして

@     水・医療・教育の民営化に反対する取り組み

A     インドにおけるコミュナリズム、ファシズム、ナショナリズムに対峙した運動

B     戦争と多国籍企業の問題として、反戦と反グローバリゼーションの闘いとして

3.20イラク占領反対世界同時行動とWTO香港会議への闘い

が確認された。

また、総会の最後に「ATTAC−インド」の結成が報告され、インドのメンバーが紹介され、次回ポルトアレグレへの参加を約束した。

WSF最終日ということで日本から参加した人達が一堂に会し(100名くらいか?)各グループの紹介と簡単な発言を受け、WSFで得たものを日本に持ちかえり運動をひろげていくことを確認しあった。

<最終日の打ち上げ集会とデモそして帰国>

 

起きるのがつらい。朝食に行こうと立ちあがったが吐き気が襲う。食当たりか!(いや、完璧な2日酔い。)胃腸薬と梅干で、朝食抜きの行動となる。

最終日の今日は、「グランドゲート駅」近くの公園で最終の打ち上げ集会デモがある。そちらに鉄道を使い移動する。朝のラッシュが過ぎ幾分乗りやすい。集会場に続々と各国の参加者が集まってくる。ブラジルATTACのメンバー、フランスのメンバーと交流しフラグの交換をした。全体集会が始まるなか、帰国の飛行機の関係で12時過ぎ先行して駅前までデモをし、イラク反戦をムンバイ民衆に訴えた。最終的には三万人が集会、デモに参加したそうである。

列車と「リキシャ」でホテルに戻り、18:30ムンバイ空港発で帰国の途につく。定刻に出発、偏西風にのり10時間で−1℃の成田に着く。空港に降りたったら横に「横掘団結小屋と鉄塔」が朝靄のなかにあった。これから、「お土産」の腹痛との闘いが始まった。

 

<人間が主体となる連帯のグローバリゼーションを!>

 

99年に開かれたWTOシアトル閣僚会議は、世界から集まった市民の力が「企業グローバリゼーション」という強大な力を打ち壊し、閉会に追いこんだ。シアトル以後、「もう一つの世界は可能だ」のスローガンのもとの世界経済フォーラム(ダボス会議)に対抗して開始した「世界社会フォーラム」。労働、農業、環境、人権、平和、貿易、さまざまな取り組み、目的を持つ市民が自力で結集し闘いを組織していく新しい運動が世界規模で始まっていることを実感した。

シアトルで、ジェノバで、ポルトアレグレで、2.15イラク侵略反対の世界同時行動で、カンクンで、世界の市民の力は、企業利潤の最大化のため地球環境を破壊し、人権、文化を奪う「企業グローバリゼーション」に抵抗し勝利し続けている。イラク侵略もまた、戦争が「企業グローバリゼーション」のもう一つの姿だということを明確にした。

企業と資本を人間や自然の上に置いている「世界経済フォーラム」に対する「世界社会フォーラム」は、人間が主体となる連帯のグローバリゼーションだ。「企業グローバリゼーション」は、市民の、民衆の「連帯のグローバリゼーション」を地球規模でつくることを提供した。リストラ、農業破壊、戦争、社会的差別、貧困、BSE問題等々、「企業グローバリゼーション」と直結した問題だ。

「近代的」建物とスラムが混在し、「勝者」と「敗者」が同じ空間で同居しているムンバイ。底無しの「貧困」のなかで生き抜く民衆。気の遠くなるような現実と課題。しかし、「もう一つの世界は可能」だということが現実に自分達の手元にきていることも確かだ。

「グローバルな連帯は、ローカルな運動から生まれ、ローカルな運動はグローバルな運動から力を得ます」<ヴァンダナ・シヴァ/世界社会フォーラム「自然と人間2月号」より>

まず、自分たちの足元の運動をしっかりと持ち、グローバルな連帯を求めていく運動が「もう一つの世界は可能」に繋がっていくのだろう。

3.20世界同時行動を成功さること。そこからはじめよう!

「もう一つの世界は、必要だ」それをつくろう!

2004年2月8日記