世界社会フォーラム(ムンバイ)におけるSUD−PTT報告

1、フランスにおける電気通信産業の規制緩和

 世界のほとんどの諸国と同様に、1960年代において、フランスの電気通信産業の顧客はビジネス・ユーザーと政府と富裕層に基本的に限られていた。電気通信の重要性が増したために、大企業や右翼政治家は、電気通信網の密度を高め効率的にする唯一の手段が政府所有のこの独占体を法人化することであると主張するようになった。
 だが、こうした人々は、電気通信部門と郵便部門での1968年の巨大なゼネストと1974年のストライキに驚いて、すぐさまその態度を変えた。そのために、彼らは政府独占という枠組みのもとで電気通信網を発展させることを決定したのである。そして、これはうまく行った。それから10年も経たないうちに、フランスの電気通信網は世界で最も効率的な通信網の一つになった。同時に、それは真の公共サービスともなった。それは、国家独占のおかげで、採算部門で得た利益を非採算部門につぎ込む二重補助システムを実施することができた。
ーー地理的レベルでは、最も富裕な地域が最も貧しい地域のために負担するよう、フランスの全国土を通じて同一料金が適用された。
ーー社会的レベルでは、主としてビジネス顧客によって作り出される長距離電話から得られる生産性上昇は提供される長距離電話料金にほとんど反映されなかった。しかも、1980年代初めには、接続料金と電話加入料金は実際のコストの2.4分の1であったし、市内電話料金は実際のコストに比べて23%も低かったのに対して、長距離電話料金は逆に実際のコストよりも58%も高かった。1982年、政府機関が明らかにした数字が示したところによると、ビジネス顧客は一般の公共電話に対して年間約20億ドルに相当する額を補助していることになっていた。そして、1996年までの時点では、フランス・テレコム傘下の半分の事業の費用効果が高くないと見積もれられていた。
 このような状況は大企業とその政治的代弁者にとっては耐え難いものであった。一方で、経済に占める電気通信産業の役割が増大したために、利潤を高める上でこのような料金慣行を変更することが中心的問題になった。この産業の利潤は経済危機ですでに減少していたからである。他方で、こうした連中は、今や自分たちがそのような動きを実施できる政治的能力を持てるようになったと信じるようになっていた。労働者階級が、高い失業率や政治的混乱や主要左翼政党の新自由主義的考えへの転換のためにより弱体化していたからである。
 アメリカ政府とイギリス政府がまず開始し、その後にEUが続いた規制緩和政策の主要目的の一つは、採算部門の利益を不採算部門に回す補助制度というそれまでの慣行に攻撃を加えることであった。彼らは、一般家庭と政府の両方のユーザーに対する補助金のいっさいの形態に終止符を打つよう要求した。このために彼らはまた料金を現在のコストにできるかぎり近づけ、「電話料金の歴史的不均衡を徐々になくす」よう、巨大な圧力を加えるようになった。
 10年後、電話事業者の利益はビジネス市場分野ではわずかなものになった。同時に加入電話料金は約300%も上がり、市内電話料金の値下げは行われなくなった。一般に、これら2つの料金が一般家庭ユーザーの電話料金の90%を占めている。その結果、今やフランス・テレコムが得ている年間利益は主として小口の民間加入者からのものなのである。
 最も利益を挙げられる分野だけが民間株主をひきつけられる。フランスでは、このことは、一般の人々の多くが携帯電話から排除されるか、あるいはきわめて不利な条件でそれを使用するということを意味している。
 われわれの組合の目標の一つはこのような政策と闘うことである。テレコムは、石鹸や洗剤のような他の商品と同じようであってはならない。
 固定電話網と携帯電話とブロードバンド利用について、われわれは以下の点を推進するために闘う:
ー最大多数の人々、とりわけ低所得層の人々、の利益のために料金を値下げすること。
ー最貧困層に対しては一定の無料利用を実施すること。
ーたとえどのような地域であっても同一料金で全国をカバーする施設とネットワークを保障すること。
 このような政策は国際的規模で推進されなければならない。そして、われわれがWTOや大企業やその政治的代弁者が押し付ける政策に反対する闘いのために強力なネットワークを構築しなければならないのは、まさにこの理由のためなのである。

2、民間資本の統制

 規制緩和の第一の目的が料金の再均衡化であるとすれば、その第二の目的は電気通信産業部門で得られる膨大な額の年間利益を以下のことを通じてわがものにすることであった。
ー最も収益性の高い部門を分離した新会社を通じて。
ーそれまでの公営電気通信であった事業の株主となることを通じて。
 フランス政府は巨大なストライキを避けるためにきわめて慎重に事態を切り抜けていかなければならなかた。労働者を分断するために、政府は一歩、一歩進むと決意した。いわゆる左翼連合政権は、一部の妥協的組合によるその政策への支援のおかげで、ストライキを限定的なものにすることに成功した。以上の政治的理由のために、規制緩和と民営化は次の三つの連続的局面の中で実施されていった:1990年:1996/1997年:2003/2004年
@1990年に採択された法律は郵便と電気通信の両方のサービスを管轄する国家部局に終止符を打った。
A1996年の法律はこの流れに踏襲した:
 ーまず第一に、民間会社が全電気通信事業市場に事業主になることが可能になった。
 ー第二に、フランス・テレコムは、その株式資本の少数部分を株式市場で販売することができる公開株式会社に変わった。
 この部分的民営化によって、フランス・テレコムは、ポーランド、イギリス、スペイン、ベルギー、スイス、ドイツ、オランダ、セネガル、モーリシャスなどの国外で規制緩和と民営化において国際的な主役になることができるようになった。この帝国主義的なギャンブル政策が、フランス・テレコムの天文学的負債の主要原因であり、このために2002年にフランス・テレコムは破産寸前に陥った。
B2003年12月以降、新しい法律によってフランス政府が親会社の過半数株主であるというそれまでの地位から少数株主になることが許されるようになり、完全民営化への道が敷き詰められた。
 株式市場をひきつけるために、フランス・テレコムは労働者の権利に対して攻撃を加えることを望んだ。だが、ストライキを制限するために、ことを用心深く進めることが必要であった。
@1990年の法律が実施されてからでも、労働者はいぜんとして公務員の身分にとどまった。その結果、労働者はその職の保障を確保したが、その資格の一部が無意味なものになった。
A1996年の法律の後、フランス・テレコムはもはや公務員を新規採用しなかった。フランス・テレコムは、主として「労働力の自然の目減り」を通じて(主として早期退職制度を通じて)毎年フランスで1000名ずつ人員を削減していった。残った労働者は、再編、系列会社への転属、配転などに直面している。労働の速度が増すにつれて、仕事は精神的、肉体的にますます疲労度の高いものとなっており、従業員は電話局でより長時間立っていなければならなくなり、通勤時間は増えている。
B2003年12月の法律によって、労働力のよりいっそうの削減が危惧されており、遅かれ早かれ、全労働者にとっての仕事保障の終了が予想されるかもしれない。

3、多国籍企業にいかに立ち向かうべきか?

 企業は、多国籍企業になると、自国の労働者よりも外国の労働者に対してより厳しい態度で臨むものである。たとえば、フランス・テレコムの場合、外国で人員を自然減を通じてだけでなく、解雇を通じても、人員を削減した。労働者階級が強力な世界的規模のネットワークを構築する必要がある理由の一つはここにある。
 長い理論的スピーチを行うよりも、SUDがトップ経営陣の政策にいかに対決しようとしたのかについてのいくつかの例を挙げることから始めた方がよいだろう。
 2002年9月初め、フランス・テレコムは、そのドイツの子会社、MobilCom社への財政的支援を打ち切る意向を表明したが、これは5500人の職を危機に陥れるものであった。MobilCom社では、労働者はショック状態にあった。多くの新規企業と同様に、この会社も一時期、めくるめくような急速な発展を経験した。フランス・テレコムが撤退した場合にはおそらく倒産することを意味するこの発表は、実際、思いがけない激しい衝撃であった。労働組合が出現したのは最近であり、ドイツ的基準からすると組合員は少数で弱体であった。労働者は闘争経験を持っていなかった。だから、闘いはとても困難だった。われわれの仲間であるドイツの労働者を助けるのはわれわれの責務である。その第一の理由は、われわれが一国的レベルだけにとどまらない労働者階級内の統一を促進したいと望んでいるからであった。第二の理由は、ドイツの子会社の従業員に対する攻撃が将来の「調整計画」の一段階にすぎないのであり、この計画がフランス・テレコム社の全従業員に世界的規模で経営者の過失のツケを今後支払わせることになるだろうとわれわれが予測したためである。このドイツ問題は、グループの経営陣にとっては、フランスやそれ以外の国々の他の従業員に対する攻撃の前の訓練期間のようなものだった。労働組合員にとってもまたこれを訓練に変えなければならないのはこのためである。ドイツとフランスの労働組合の間の提携を確立することはけっして当たり前の仕事ではなかった。労働組合の世界では、既存の国際的な労働組合機構はそれほど有効でないからである。そして、われわれがEメールによってMobilCom社の職員の代表とただちに接触することができるようになったのは、2002年のブラジルでの世界社会フォーラムでわれわれの組合が数ヶ月前に作り上げた直接の提携のおかげであった。これらのEメールのおかげで、フランス経営評議会内のフランスの労働者側代表全員が経営陣が支持する計画に反対票を投じた。この投票の発表はドイツにおいてきわめて大きな反響を呼び、ドイツの新聞の大きな見出しとなった。それは、MobilCom社の従業員に自信を与え、フランスで経営評議会が開催されたその同じ日にドイツで大きな集会を組織することができた。約1500人の人々がMobilComの本部前に集まった。これは、ドイツのこの会社の本部がある地域でその日に働いている人員のほぼ100%に相当する人数であった。われわれの共同の闘いがドイツ政府に圧力をかける役割を果たし、ドイツ政府はその後、フランス政府と協議した。これらすべての出来事はドイツの国政選挙のほんの1週間前の起こったことである。その結果、ドイツ政府は最終的に、政府系銀行がMobilCon社に4000億ドルの融資を与える、と発表した。こうして、当面の倒産と全労働者の解雇が回避された。そして、今日もいぜんとしてMobilCom社が存続しているのだ!
 われわれが多国籍企業に対する闘いを展開したいと望むなら、このような国境を越えた団結が鍵を握る問題となる。4年前にも、フランスの労働組合の支援が、フランス・テレコムのセネガルの子会社の労働者の勝利の主要な要因の一つとなった。昨年春、フランス・テレコムのスイスの子会社で人員整理に反対するストライキが起こった。このストライキは成功しなかったが、われわれはその支援を試みた。
 伝統的な労働組合では、同一の経営者に対して数カ国の従業員を動員することができるような連絡体制を確立するのは困難であることがしばしばであった。その原因の一つは、伝統的組合が通常、その国内の日常的利害に余りにも閉じこもり過ぎているためである。国際的な労働組合機構もまたしばしばそれほど有効ではない。労働組合員相互の直接的な連絡ほどかけがえのないものはない。これこそわれわれの組合が推進したいと望んでいることである。これこそまさにわれわれの組合の何人かがムンバイにやって来た理由の一つなのである。
 多国籍企業のグローバル戦略に反対して、われわれは、労働組合運動内のグローバル・ネットワークだけでなく、社会運動とのグローバル・ネットワークを全世界的規模で築き上げなければならない。すべての人がともに力を合わせるなら、われわれは敵よりも強くなれる。フランス・テレコムのドイツとセネガルの子会社の例は、国際主義がイデオロギー的観点だけでないことを立証している。それは、日々の労働組合運動にとっても鍵となる問題なのである。
ー一方で、われわれは企業の多国籍企業への転換に反対して闘わなければならない。
ー他方で、全世界の労働者に力を与えるという側面では多国籍企業の存在を利用しなければならない。われわれは、世界社会フォーラムが電気通信部門内の全世界的規模の強力なネットワークの建設に向けた大きな第一歩になるものと期待している。

* * * * * * * * * * *

SUD(連帯・統一・民主主義労組)は、1989年に郵便と電気通信部門の労働者によって結成されたフランスの新しい労働組合である。
SUDは、鉄道、医療、税務などの部門で影響力を強めつつある他の組合とともに「連帯」労組連合に加盟している。
SUDと「連帯」労組連合は、一般組合員重視の労働組合運動を推進することを望んでいる。それは、各経済部門内の異なるさまざまな労働組合相互間の統一と、フランス全土と全世界の労働組合の統一を発展させたいと考えている。
われわれの労働組合がいっさいの政府や政党から完全に自立することを決定したの理由の一つは、統一を推進するためである。
われわれは同時に、それぞれの企業内だけで闘う偏狭な労働組合運動を放棄したいとも考えている。われわれの労働組合が、女性やホームレスや失業者や滞在許可証を持たない移民労働者の権利、国際連帯、ATTAC、ヨーロッパ社会フォーラム、世界社会フォーラムなどのフランスと全世界における社会運動に参加しているのはそのためである。